バンドの寿命

仕事が珍しく定時に終わった。
より正確には、まるで進まなくなっていたので、強引に17時15分に切り上げ、猛ダッシュで職場を後にした。
なぜそんなに急いでいたのか。
名古屋国際会議場センチュリーホールというところに、あるご長寿バンドが来ていたからだ。


バンドの名前は、THE ALFEE。
日本を代表する、色物グループ。


アルフィーと聞いて、「何ですかそれ?」という反応がやっとだろう。
ただし、「高見沢俊彦を知っていますか?」と問いかけると、結構な人数で「知ってる」と答えが返ってくる。


そんなに好きだったんですか?と問われたら、残念ながらNO。
確かに29年前から関わっている腐れ縁のようなものだが、ホントに好きだったのは大学生のころまでで、「いちおうファンです」的な看板も2001年をもって下ろしてしまった。
ただし、ビジネスモデルとしては大変な興味を持っているということと、自分が40代に突入して「いったいあの頃はなんだったんだ」と時々振り返ってみたくなることがある。
なので、音楽的にはとっくに愛想を尽かしてしまっているのだが、ローリング・ストーンズにもなれない日本のたいていのバンドが直面する未来を、ある意味端的に表しているのがほかならぬ彼らだと思うからだ。


環境問題には一切興味がない。
ヒット曲もない。
それこそ、高見沢俊彦はそれなりに知られていても(まして、ソロツアーもある)、それが人気にはまったくつながっていない。
なのに、完売とはいかないまでもほぼ3,000人のファンで埋まっている。
なぜだ?


なぜ再ブレイクを果たせないのかは、程なくして理由がわかった。
そこそこ売れていたポニーキャニオン時代の曲は、パクリとも散々揶揄されたし、そのことについて否定する余地もないのだが、やっぱり盛り上がる。
しかし、東芝EMI(現EMIミュージックジャパン)移籍後、ドラマティックな展開の曲の多くは「宝塚ロック」だし、歌詞の多くは「洋楽曲を日本語のライナーノーツに乗せかえたようなもの」だったりする。
2000年以降は、自分が作った曲のフレーズに自分の指がついていかない・2006年以降はとうとう声も出なくなって一部の曲は口パクという、「これで金とる気か?」という状態だったが、さすがに去年あたりからちゃんと弾けていたし、地声でも出ていた。
が。
バラード「君に出会ったのはいつだろう」で、1段ほど低いキーで歌っていた。
東芝移籍後、なぜかかなりの曲が「この」キーにのせかえられている。
「A.D.1999」しかり、「CATCH YOUR EARTH」しかり・・・
このキーでは、はっきりいって耳ざわりはよくない。
よくないにもかかわらず、これで押し通してしまっているのは、はっきりいえばもうそれ以上のキーでは歌えないからである。
こうまでしてまで、ライブをやらなければならないのか。


いや、やらなければならない。
何しろ、ツアーをやらなければ自分のところにお金が入ってこないからだ。
今をときめく烏龍舎もまねし始めたこの手法だが、コンサート制作会社であり、グッズ製作とファンクラブ運営までも一元管理している「8DAYS」社は、他ならぬ社長が高見沢。
観客動員に関わらず、やればコンサートの制作費とグッズの売り上げのほとんどは自分のところに転がり込む。
同じ手法でオーストラリアでの借金を完済してしまった矢沢永吉もとっているこのシステムが、いかに儲かるか・・・。


なぜそんなコアファンが3,000人も来てしまうのか、その心理は今もってわからない。
たまたま隣に来ていた50代以上と思われるご夫妻。
ダンナは、宗教かと思うくらい入り込んでいて、正直世にもおぞましい光景を3時間ほど見る羽目になってしまったが。
「負け組の代表」だった時代は、とっくに終わっている。
先述のシステムを理解できれば、音楽的には敗者でも、金に関して「だけ」いえば明らかな勝者以外の何者でもないのだから。


今までは、怒りだった。
「ミュージシャンとして一定クオリティのものが出せないのなら、やめちまえ!」というのが僕の持論だからだ。
ただ。
この日に限っていえば。
哀れだった。
たとえそれが勝者であっても、かつての自分たちすら再現できないまま、稼ぐためだけにそこにいるのは、ひたすら哀れだった。